わおん通信 2021夏号(vol.41)の追加コラム
わおん通信41(夏)号 7ページ「なるほど・ザ・ワード」で紹介しました「2050脱炭素」の続きを掲載します。
脱炭素に向けての具体的な対策には様々ありますが,賛否も含めて特に注目されるキーワードを列記しますと,例えば,水素エネルギー,水素自動車,電気自動車(EV),CCS(炭素貯留),CCU(炭素リサイクル),再生可能/自然エネルギー(ソーラー発電,水上ソーラー発電,風力発電,洋上風力発電,小水力発電,電力の地産地消,ご当地エネルギー,ソーラーシェアリング),小規模原子力発電,スマートグリッド,バッテリー,燃料電池,オーガニック(有機農業),4パーミル・イニシアティブ,RE100,チャレンジ100,ESG投資,グリーンリカバリー,あげだすときりがない状態ですし,今後ますます増えることでしょう。いずれにせよ,世界規模で環境対策とビジネスの利害が一致し始めてきたことだけは確かです。だから,キーワードがたくさん出てきているわけです。
脱炭素は終着点か?
ゼロ・カーボンやカーボン・ニュートラルなどとも表現される「脱炭素」ですが,人間活動から排出されるCO2と,自然の森林や農地などの緑地や海洋が吸収するCO2の差をゼロ(またはマイナス)にするという意味です。実質的CO2排出量ゼロなどとも表現されます。大気中へのCO2の排出をゼロにするという意味ではありません。地球温暖化と,それにともなう気候変動を防止するために欠かせない取り組みで,世界各国が2050年を達成目標年限に決めて動き出しました。ところが,実質的CO2排出量ゼロになっても気候変動は止まりません。なぜなら,人類は,すでに大量のCO2はじめ温室効果ガスを大気中に放出させてしまっているからです。その分までを含めて回収しないと,温暖化も気候変動も止まらないのです。つまり,脱炭素は終着点などではなく,実は新世界のスタート地点となるわけです。
例えば,頻発するようになった豪雨災害などの気象災害は,脱炭素後には無くなる,あるいは減ると思ってしまいがちです。しかし,現実には,今たちまちゼロ・カーボン状態になったとしても,現在レベルの気象災害は数も規模も継続して発生する可能性が高いわけです。すでに温暖化が進んでしまった分の蓄積があるからです。気象災害の発生頻度や規模を,せめてなり昔のレベルに戻したければ,CO2のレベルも昔に戻さないといけないことになります。もちろん,その状態になったとしても気象災害が無くなるわけでもありません。人類は繰り返される気象災害と付き合ってきたのですから。
つまり,「脱炭素」と並行して,CO2の吸収源を増やし,実質ゼロではなくマイナスにしていかなければ問題は解決されません。CO2の吸収技術は様々あり,CCS(炭素貯留),CCU(炭素リサイクル)のように人工的な技術への期待が盛んに報道されていますが,いずれもコストがかかるものばかりです。できればお金をかけずに実現したいものです。期待できる安価な方法は,温故知新ではないですが,自然保護や植林,有機農業の推進になります。コストも安く,しかも実績も十分で,基本技術の開発などは不要です。今すぐからでも始められます。なお,有機農業がなぜCO2の吸収につながるのかは,別の項で解説します。
日本では「温暖化懐疑論」を信じる人が多いのはなぜか?
IPCC(気候変動に関する政府間パネル)という言葉を聞いたことのある人は,今では少なくないでしょう。国際的な専門家でつくる,気候変動(地球温暖化)についての科学的な研究の収集,整理のための政府間の機構です。そのIPCCは,2021年7月に,地球温暖化(気候変動)の原因が,人間活動によるCO2など温室効果ガスの排出によるものだと「断定」しました。それまでは,可能性を強く疑うレベルに止めていた態度から表現を強めました。その背景には,断定に足るだけの科学根拠が出揃ったと判断されたことによります。
では,なぜ,温暖化懐疑論は(未だに)根強く存在するのでしょうか? この疑問を解くため,2014年にエール大学の気候変動コミュニケーションに関するプロジェクトが行った研究では,地球温暖化や気候変動について記載のある11,994編の論文の内容を分析し,温暖化に否定的あるいは懐疑的な意見を示している論文やその著者の傾向を調べました。その結果,否定,あるいは懐疑的な論文は1%にも満たなかったことがわかりました。科学の世界における確率として誤差レベルの低さです。また,懐疑論文の著者の多くが,(学識レベルや幅の広さはわからなかったものの)少なくとも気候や気象の専門家ではないこと,さらに,その著者らは,他の論文でも気候変動のことに限らず何かにつけて否定的で独自見解を述べる傾向があることを突き止めました。同じように,アメリカのJordi Xifraは2016年に発表した論文において,アメリカの気候変動に懐疑的な論文の90%以上は,右翼系のシンクタンクに由来していたと報告しています。これらのような「気候変動に対する科学界でのコンセンサス」を分析した研究論文は,様々な研究者から発表されています。結果は,だいたい同じとなっています。これらの論文からもわかるように,温暖化懐疑論を支持する科学者,専門家は極めて少ないことは確かなようです。
ところが,人の印象というのは不思議なものです。支持論と懐疑論の対立を同時に示されると,あたかも同じ確率で存在する論争であるかのように誤解してしまうことがあるのです。このためか,極少数派に過ぎないはずの温暖化懐疑論者は自信を持って論を強めます。さらに,否定的な見解を述べることで,(素人のはずの)自分の方が本当の専門家よりも優れているとのナルシスト的な誇張的な振る舞い,自分や自分の意見に注目されることを楽しんでいるかのようだと受け止められることもあります。日本でもテレビなどで有名な懐疑論者の某大学の先生は,このタイプに入るのかも知れません。いずれにせよ,温暖化懐疑論の大半は科学の話ではなく,多分に政策的な論争,あるいは個人の思想や事情,嗜好性に依存する話であると結論づけられそうです。社会影響力の大きな人のナルシズムや個人的な理由によって,世界の気候変動防止の速度を緩めてしまい,そのために間接的に死者を含む被害者を出してしまった/増やしてしまったのだとしたら,懐疑論者の皆さんは,どのように責任を説明されるのでしょうか?
また,IPCCの「断定」の後では結果が変わるかも知れませんが,日本人の中には温暖化懐疑論者の割合が高いことがアンケート調査から明らかになっています。その原因として,日本には「科学者の発言は信用できない」と考えている人が多いことが上げられます。あるアンケート調査では,調査した日本人被験者の75%が科学者の発言を信じないか不信を持っていると答えています。他の先進国では概ね30%以下で,低い国でも50%程度に収まっています。日本人がいかに科学や科学者を信用していないかが良くわかります。その理由はわかりませんが,先進国である日本の教育レベルの低さの問題では無さそうです。日本人は誰か有名な人つまり権威からの発言を鵜呑みにする傾向は昔からありますので,例えば先の某先生が温暖化懐疑論を展開すると,そっちの方つまり別の意味での権威の方を信じてしまったり,アンチテーゼの主張を痛快だと感じてしまうためかも知れません。別の調査からは,日本人は他人の意見を受け入れない,信用しない点でも先進国内でトップにあることが報告されています。このような理由から,世界では早くから否定されているような温暖化懐疑論まで未だに信じる人が日本人には多いのではないしょうか。東京大学の小宮山元総長は「科学者や専門家でない者の話を聞くな,温暖化懐疑論には全て合理的な反論が準備されている」と警鐘を鳴らします。さらに,「温暖化懐疑論を信じるのは世界中で日本人だけだ」との指摘もあります。
気候変動のような社会問題は,UFOは本当か?のようなエンターテイメントで片付く話ではありません。話の面白さや話術に長けていることで判断するのではなく,科学,つまりデータから判断されるものでなければならないものです。しかし,日本では実際には逆になってしまっているようで,近年の日本人の科学コミュニケーション能力の低下が心配されます。これを裏付けるかのような興味深い研究もあります。普段から環境問題を気にしている人と,そうでない人が,何かの環境問題の懐疑論や否定論に接した後の行動変化を調べた研究です。日本人が対象です。結果は,普段から環境問題を気にしている人は懐疑論そのものを疑い,対象となっている問題行為をやめる一方で,環境問題なんか気にしていない人は問題行為を以前よりも助長してしまうという結果です。
同じような例ですが,新型コロナ渦の中,巷では「(首相や知事は)早く非常事態宣言を出して欲しい」や「Go Toキャンペーンはおかしい」や「注射(ワクチン)怖い」や「マスクには効果がない」など,様々な意見が飛び交っています。様々な意見があることは,社会として健全な姿です。しかし,自身や親しい人の命(健康を守る)目的において,例えば首相や知事の発言だけを拠り所に判断していて本当に大丈夫でしょうか? 非常事態宣言が出てないからといって安全が保証されているわけではない,と聞けば,科学データの重要性がおわかりいただけると思います。
新型コロナについて様々な科学データが公表されています。その中で,感染拡大を防いでいた可能性の高い事柄は統計学的には示されています。もちろん,科学には確率しか示せないという構造的な弱点があります。このため,例外も多発します。少数データの方が実は正しかった,ということが後からわかることもよくあることです。しかし,感染に関わるリスクを判断する上では,様々な最新の調査データは現時点では有用な指標であり,疑うことがあるとするならば,データの取り方や分析に何らかの間違いがないか? という点に集約されなければなりません。少なくとも「(全ての?)医者は製薬会社の手下だ」などの陰謀説を根拠に科学データを否定するような話は,ココロの(満足の)問題であって科学とは関係のない話です。科学が全てではないにせよ,(全部がとまでは言いませんが)コロナ対策懐疑論の一部は,温暖化懐疑論と同じようなプロセスで発生してしまっているということも知っておきたいものです。有名な環境活動家のグレタ・トゥンベリさんは「(大人の皆さん)科学が明らかにした結果(データ)に目を向けて下さい」と主張されます。これは気候変動にもコロナ対策にも,それ以外のコトにも通用する話です。
SDGs(持続可能な開発目標)は脱炭素に効果があるか?
答えは,イエスでもありノーでもあります。誰も取り残さない社会,地球上の全員が幸せになる社会を目指した国際的な取り組みであるSDGs。今となっては説明不要なほどに社会に浸透してきました。日本に目を向けてもSDGsのバッチを胸につけた人は増えましたし,企業も行政もSDGsに取り組んでいないと社会から批判を受ける,そんな勢いのある話題となってきました。SDGsは2015年からの取り組みですから,たった5年ちょっとでここまで注目を集めるようになったことには驚かされます。
そのSDGsですが,あまりにも身近なこと,例えば,自社のことや,自分が暮らす地域のこと,つまり身近なことから始めてしまうと,意外と早い時点で満足してしまい,自分の知らない地球上の他の場所で,何かのこと,例えば食料,健康,教育,経済,差別,詐取,様々なことで取り残されているかも知れない人の存在を忘れてしまうことが心配されます。これは,脱炭素でも同じことです。自分の会社や地域,自国では進んだけど,途上国ではさらに深刻な状態になってしまっていくことや,逆に,自分の周りでのSDGsの実行が,間接的に,連鎖的に世界の誰かをさらに不幸に追い込むことだってあるかも知れません。
身近なことから始めることは,わかりやすく,それはそれで良いのですが,SDGsにおいて最も重要なことは「地球上の全員」であることを,わかりやすさの中で忘れてしまってはいけないということです。世界は広いのです。個人や小集団が身近なことにしか目が向かないことは,その人(集団)の社会感や行動限界に依存するものなので,致し方がない部分はあります。しかし,少し大きな集団,例えば一定規模以上の会社や学校,行政などでの目標は,身近なことへのアクションが世界にどのように影響するか,影響「させる」か,くらいは組み入れておきたいものです。
SDGsに気づいた人類は,大きな一歩を踏み出しました。それを実現するためには,「地球上の全員」の主語が,自分や地域,仲間という狭い範囲の主語であってはならないことは確かです。優先されるのは,少なくとも自分よりも不利な状態にある人や地域のことです。わかりやすさを重視する態度は,特に日本人に多いとされています。これは一種の「逃げ」や,自分や地域,自国ファーストとなっているかも知れないことを,ここでもう一度,確認しておきたいものです。自分ファーストの社会感は,SDGsで解決しなければならないことの根本原因になってきたのですから,SDGsからは最も遠ざけなければならない話なのです。典型的な例として,紛争や戦争の根本原因は,自国(集団)ファーストであったから,と説明すればわかっていただけると思います。
日本国内におけるエネルギー分野の可能性
水素エネルギー
【日本での期待】○,作り方次第では✕,経済面△または?
水素(の元)は,地球上にほぼ無尽蔵にあるため,上手に作って上手に使うことで,CO2も排出せず,しかも資源枯渇の心配もほとんどないことで,エネルギーとして利用することが期待されています。しかも,既存の技術だけで水素のエネルギー利用は実現でき,一部ではすでに使用が始まるなど実績も積み上がってきています。
水素は燃焼しやすい物質なので使用に対する危険性を心配する声もあります。ところが,水素は瞬間の爆発力は小さくないのですが,非常に軽い物質なので,大気中に放出されたら,あっという間に上空に上昇するため,石油のように燃え続けることは考えにくく,意外と火災の危険性は低いようです。
水素は,水を電気分解したり,水素を含んだ物質から化学変化によって水素を取り出す方法で作られます。化石資源から取り出す場合は改質と言います。電気分解については,不安定だとされる自然エネルギー発電の余剰分を水素に変換しておく蓄電的な使い方を期待して世の中に提案されましたが,電力を石炭火力発電から得るような計画が出るなど混乱しています。これでは,エネルギーの変換回数が増えてしてしまうため,化石燃料発電の電力をそのまま使った方がCO2排出量は少なくなるし,コストも安くもなります。
ちなみに,自然エネルギー電力による電気分解で作られた水素はグリーン水素と呼ばれています。電気分解の電力が原子力発電になるとイエロー水素になります。化石燃料を蒸気メタン改質や熱分解などで水素と二酸化炭素に分解して作られる水素の内,二酸化炭素を回収する場合をブルー水素,二酸化炭素を回収せずそのまま大気中に放出する場合はグレー水素と言われます。国際エネルギー機関(IEA),国際再生可能エネルギー機関(IRENA)では,化石燃料使用の水素をブラック(石炭),グレー(ガス),ブラウン(褐炭)と,さらに細分化しています。水素だから(すべてが)脱炭素につながる,という単純な話ではなく,それは,あくまでグリーン水素の話に限定されるのです。この辺りは間違えないようにしたいものです。
技術的には既存の技術レベルでほぼ実現できる水素のエネルギー利用。あとはやるかやらないか,と言えそうでもあるのですが,それを難しくしているのは,やはり経済性(コスト)の課題になりそうです。世界に目を向けると,水素のサプライ・チェーンの構築を目指した活動が活発化してきました。ヨーロッパなどでは,工場などで使う熱源としてグリーン水素への期待が大きく,水素製造は著しい成長産業になっています。2030年までの10年間に700倍の成長率になるとまで予想されています。
一方,2021年8月,新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)は,太陽光エネルギーを利用した光触媒によって水を分解することで,グリーン水素を生成・回収する実証実験に世界で初めて成功したと報告しました。効率面などで,課題はまだまだあるとのことですが,技術のニッポンの巻き返しなるか? 注目したいものですね。
水素自動車
【日本での期待】○か△,経済面では△
日本では,水素自動車の話題が聞かれるようになりました。水素を自動車燃料に利用するためには水素ステーションが必要になります。その数を現在のガソリンスタンドレベルにまでするためには,日本国内だけでも十兆円を超える費用が必要になると見込まれています。すぐには捻出できそうもない金額です。このような状態にあるため,例えば途上国での普及は,ずっとずっと先になるでしょう。つまり,水素自動車の需要は当面は経済力の大きな国だけにとどまるでしょう。
さらに,すでに世界中でEV(電気自動車)の普及が始まっていますので,水素自動車がEVを超える需要を生み出すほどの普及は,短期間では期待できそうもないでしょう。EVでも十分に自動車としての性能がありますからなおさらですね。また,世界でEV(電気自動車)の普及が始まっている理由には,エネルギーの供給インフラ整備が追加で必要ないということもあるのです。ライバルは強力なのです。
ソーラー発電
【日本での期待】◎,やり方次第では経済面でも◎
近年の豪雨災害において,斜面地に設置された大規模ソーラー発電所の災害への脆弱性が指摘され,ソーラーそのものに対するアレルギーまで蔓延し始めていいます。しかし,これは,ソーラー発電の問題ではなく,費用をかけたくないために「いい加減な」設置を実行したことの問題であって,いわば公害と同じ原理の社会問題です。この悪評は,真面目にやっておいでの発電所さん,業者さんには迷惑な話です。
この事態を心配した和歌山県や和歌山市は,日本のどの地域よりも先に徹底的な災害安全性に対する規制を整備しました。他の地域では,未だに景観破壊が争点の中心ですから,和歌山の先見性は注目されます。災害安全性は科学の話ですが,景観はココロの話です。科学はブレないけど,ココロは変わることがある,そのことを見越した対応でした。
具体的には,出力50kWを超える大規模なソーラー発電所を設置する場合,地形の造成方法を含め,その土地が豪雨に耐えるだけの十分な安定性を維持しなければならないこと,パネルで地表面が影になることで植生を失うために起こりやすくなる表層崩壊を緑化以外の方法(コンクリートやシートで覆うなど)で防ぐこと,その一方で災害を防ぐために表層をコンクリートなどで覆うことで失われる雨水の地下浸透機能や自然(生態系)の質と量を大きく減じないこと,下流への表流水の流下水量を変えないこと,何より住民合意が不可欠なことなど,様々な技術目標として,それぞれが矛盾する結果を求める事柄をすべてクリアしないと認可しない方針となったわけです。その上で,景観も壊していけないという,とても厳しい内容になっています。クリアするためには大きなコストが必要になり,設置業者泣かせの仕組み(本来は当たり前の義務なのですが)が敷かれました。現在は,この出力50kWを巡り,それ未満の案件について,どのように対処するかが課題となっています。なお,自然保護区では,様々な厳しい規制があるので,規模に関わらず,ソーラー以外であっても原則的に建設行為そのものが制限されます。この出力50kWを巡るせめぎ合いは,特別な保護区ではない場所での話になります。2021年になると,山梨県が,実質上,斜面地でのソーラー発電を禁止する条例を設定しました。この影響が和歌山を含めた他の地域にどのように波及していくのか,注目したいものです。
一方,世界では,中国の目覚ましい技術革新によって,ソーラー発電のコストが歴史上かつて誰もみたことがないレベルにまで低価格になっています。例えばUAEで建設中の大規模ソーラー発電所では,1kW/hの発電コストが4円を下回り,これは日本の最も安価な発電の半額以下です。2030年には,世界中でもっと安くなることまで予想されています。このため,外国では,発電所の新設は,まずはソーラーから考えるという傾向になってきました。なにせ安いですし,CO2も出ないですからね。日本は地代が高い上,豪雨災害の多い国ですから,さすがにUAEのようにはいかないでしょうが....
しかし,その日本でも,2021年になると,ソーラー発電が最も安価な電源になっていることが経産省から示されました。これを受け,ある政治家は「ソーラー発電は不安定なので,バックアップのために結局は火力発電が必要になる。そのコストもソーラー発電の価格に上乗せする必要があり,実際には安価ではないかも知れない」と発言され,物議を醸しました。発電を安定的に機能させるための(隠れた)関節費用(ヒドゥン・フロー)を加算しないとコスト評価できないのであるなら,原子力発電でもヒドゥン・フローを計上しなければ計算として不公平です。原子力発電では,核廃棄物の処分費が正確に試算できていないため,実はヒドゥン・フローも不明だったりします。予想では,天文学的な金額になると心配されています。核廃棄物は,発電させればさせるほど危険性が増すことは,意外と知られていません。それは,核分裂の回数が増えるほど放射線の量が増えるからです。結果,処分費も劇的に上がります。また,事故への保険費用も必要で,このヒドゥン・フローも計算できていないようです。これらのことからすると,「既にあるんだから使った方が経済的だ」は,廃棄物の処分費や適正な保険料が明確になってからでないと成立しない話なことがわかります。なお,近年になると,事故を起こしてもメルトダウンが起こらない,廃棄物の処分費も安く済むと見積もられている小型原子炉を用いた小規模原発が注目されるようになってきましたが,コストも含めてどのように展開していくのか未知数です。
いずれにせよ,世界で躍進を続けるソーラー発電...ついこないだまで世界のトップであった日本のソーラー製造が外国に抜かれてしまったことは,ソーラーを輸出する貿易面では日本経済に対して大きな損失でした。一時期,自然エネルギーは高価だ高価だと,皆で無視したこと,時にはバッシング,嫌悪したことが今になって仇となって響いてきています。お隣の国では,虎視眈々とビジネスチャンスを狙い技術開発してたんですね。
なお,最近になって「(一部の)ソーラーパネルの原料が(中国の)ウイグル地区から得られている」ことを論拠に「ソーラー発電が普及することでウイグル地区の人権問題が助長される」と反論し,それに続けて自然エネルギーそのものの普及を否定したり,嫌悪する人までみられるようになってきました。ここでも間違ってはいけないのは,仮にソーラー発電にまつわるウイグルの話が悲しい事実で由々しき事態であっても,それはソーラー発電そのものが抱えた問題ではなく,製造と流通に関する問題だということです。なんでもかんでもがアンチの理由にはならないのです。
ソーラーシェアリング(営農型太陽光発電)
【日本での期待】○,経済面には◎
国土が狭い日本では,広大な面積が必要なソーラー発電は不向きだという指摘があります。そこで考え出されたのが,ソーラーシェアリング(営農型太陽光発電)です。農地にソーラーパネルを設置し,その下で農作物を栽培するというものです。太陽エネルギーを発電と農業でシェアすることからソーラーシェアリングと呼ばれるようになりました。ところが,ソーラーシェアリングという言葉は別の意味でも使われていて,ソーラー発電の資金と利益を出資者間でシェアする場合もソーラーシェアリングと言われます。混乱を避けるため,日本では,農業とのシェアは営農型太陽光発電と呼ばれるようになっています。
営農型太陽光発電は,2010年頃から日本各地でみられるようになりました。和歌山県では和歌山大学での小規模な実験が最初でした。当センターのとある推進員さんが管理されていた農地が実験場所でした。農地にソーラーパネルを設置するには苦労がありました。まだ 農地で農業以外の収入を得ることに対する税法上の制度が整備されていない時期でしたから,農水省と和歌山県と相談しながら,パネルを乗せる架台の柱(パイプ)の低面積の合計面積だけを農地から雑種地に転用し,その面積分だけを税金を変更する方法で対応しました。一方,ソーラー発電での収益が農業収益を越えてはイケナイという縛りも発生し,定期的に農業収益を役所に報告するという状態になりました。ここは,あくまで実験地でしたので,ソーラー発電で得た電気は売電しなかったため収益の問題は発生しませんでした。農地の上にソーラーパネルが置かれると,農地は影になります。そこで,日陰でも収益が期待できる作物が選ばれ,実験は進みました。この実験でわかったことは,技術的な課題よりも,既存の制度(法律)の中で新しいことをすることの難しさでした。
以上のような話は,他の地域の試みでも同じだったようで,今でも税法上などでの制度の本質は変わってないものの,様々な手続きが簡素化され,農家はチャレンジしやすくなりました。パネルの下で栽培できる作物の種類も増え,作物の種類にあわせたパネルの形状もいろいろ開発されました。日陰を好む軟弱野菜だけでなく,日当たりの良い場所を好む果樹やコメづくりに適合できるシステムまで実用化されるに至っています。適した農業機械まで開発されています。中には,パネル下の半日陰の方がむしろ収益が上がった作物まで出てきました。今では,多くのホームセンターで営農型太陽光発電システムが簡単に購入できるにまでなっています。それだけ,農家の期待が大きいということなのでしょう。
風力発電が盛んなヨーロッパでは,放牧地の中に風車が立ち並ぶことがよく見られます。これも,一種の土地のシェアリングであり,同じ面積内での収益が発電(売電)と農業のダブルとなり,儲かるビジネスとして認識されるようになると,苦戦していた農業後継者問題も解決し始めたということです。農業に若者(後継者)が帰って来たのです。さて,日本の営農型太陽光発電も,農業後継者問題の解決につながるかどうか,今後,注目したいものです。
一方,近年は,耕作放棄地をソーラー発電所に土地転用する事例が増えています。農業を諦めた土地をソーラー発電所として再生しよう,あるいは(農業ではないものの)土地の管理を再開することで周辺の獣害などが減少する,と利点を並べると聞こえは良いですが,複雑な思いも同時にあります。というのは,農地は,耕作放棄地であっても自然が成立する条件を整えており,例えば水を蓄えたりして災害を軽減したり,地域の生物多様性維持のために機能しているからです。こういった(経済性は低いけど社会にとって重要な)農地が有する「公益機能」「生態系サービス」を,発電,収益,脱炭素の機能に置き換えることは,今日的な流れなのでしょうが,長い目でみた場合に不安な要素もあるわけです。
さらに,耕作放棄地ではなく現行の優良農地がソーラー発電所に転用される事例も増えています。ソーラー発電所の建設を進める業者さんは,農地を売って欲しい,貸してほしいと,農家に営業しています。これは,田んぼを埋め立ててマンションやコンビニ,住宅地となっていくことと類似した社会現象です。農地の公益機能の低下を心配した和歌山県知事は,2017年に優良農地を転用してのソーラー発電所の建設を制限する構想を発表します。すると,各方面から大反対され,構想を撤廃せざるを得ない状況に追い込まれました。反対した人の多くは農民でした。反対した農民の多くが,農業を継続することより,土地を転売することで得られる莫大な利益の方を優先したわけです。
これは私信なので信憑性に欠ける情報ですが,戦後の農地開放(農地の私有化)の政策立案に関わった(当時は)若かった官僚が後年になって語ってくれた話です。「これまで詐取に苦しんでいた小作農民にも国家が責任を持って土地を与え,自作農民にすれば,生産意欲が高まり,(戦後の)食糧復旧が劇的に進むと期待して農地開放を敢行した。しかし,それが失策であったことは2年も経たないうちに分かった。農民の多くは生産モチベーションを高めた成果があった一方で,住宅地などへの転売がどんどん始まった。転売益は,それまでの地主からの詐取への代償だと言えば聞こえが良いが,農業を推進するために土地を与えたのだから,(別の)農家以外への転売,別の土地利用への転用は想定されていなかった」です。見方にもよりますが,農地開放は「持てる者と持たざる者の経済格差」につながったわけですね。
なお,耕作放棄地や優良農地が埋め立てられ,ソーラー発電所や住宅に変わることは,域内の水害危険性を高めます。豪雨を蓄えてくれていた農地が,降水を蓄えない,地下浸透させないばかりか,逆に河川へ降水を流下させ,河川増水の発生源に変わるわけですから....ちなみに,環境先進国と言われることも多いスイスでは,土地の転用に関し,自然度が高い方への転用,例えば農地を森林にする,工場跡地を草地や農地,森林にするなどの計画は役所(首長)の判断で決められますが,自然を減じる方向への転用,例えば農地を住宅地にするなどの転用は住民投票で決めることが基本になっています。公益機能や生態系サービスが社会や自分たちの暮らしにとって重要であることのコンセンサスが社会全体で確認されていることと,自然や景観といった観光資源を保護することが経済的に有利だと判断されているからです。つまり,スイスでは自然も景観も「みんなのもの」なんですね。
公と私の権利に対する優先度をどうするかは,場所場所で変わります。日本は世界でも有数の私の権利が極めて高い国のひとつでして,政策的に衆愚主義,個人優先主義に陥りやすい構造がある中で社会運営されているわけです。だからこそ,公,他者,人間以外が存在していることを常に意識しておきたいものです。日本は,主たる信仰や宗教をもたない国ですからなおさら意識することが重要になってくるのです。
水上ソーラー発電
【日本での期待】△か○,経済面では○か?
ダムや池の水上にソーラー発電所が建設されることも始まっています。水の上は,日当たりが良いことが多く,地面の造成も必要ない。イカダ(フロート)の上に発電所を浮かべてしまえば,豪雨での増水にも対応できる。設置費用が安価に済むことも期待され,日本でも一部で運用が始まっています。ダムや池は,水が滞るため,プランクトンが増殖しやすく,水が汚れやすい問題があります。そこをパネルで覆うと,日陰ができ,プランクトンが増殖しやすい条件となっている水温上昇,光の到達を抑制し,その結果,水質維持,富栄養化防止の効果も期待できます。
こう聞くと,設置に適した水面には面積的な限りはあるものの,何かとっても良さげな技術に映ります。ところが,そんなには簡単にいかないことが,実際に運用した現場からレポートされています。以下は,韓国での事例です。水上ソーラー発電所の運用を始めたら,そこにサギやウ,つまり鳥が大量に集まるようになりました。その糞がパネルを覆ってしまい,発電効率が著しく下がってしまったのです。当初から糞害は予想されていましたが,雨で洗われる程度と見積もられていました。しかし,実際には,大雨ですら洗い流してくれません。糞を分解する溶液で洗浄できれば良いのかも知れませんが,水質保全のために化学物質をそのまま垂れ流しでは使えない。仕方なく手作業で糞を拭き取っている状態に陥ったとのことです。拭き取った糞も,そのまま水に流せないので,その処理にも困っているそうです。これは,あくまで一例に過ぎませんから,すべての水上ソーラー発電がダメそうだということにはなりません。しかし,他でも起こりうる話だということです。
風力発電
【日本での期待】○,経済面では◎
風力発電は,太陽光に次いで安い発電として世界中で普及が進んでいます。コストダウンが実現され,不安視されていた「風まかせ」による不安定さも様々な技術開発で改善されてきたことが理由です。AIの導入は,技術を格段に進化させました。日本では騒音や景観問題,鳥が巻き込まれるバードストライクのことなどが心配され,建設計画では各地で反対運動が起こっています。特に,山上風力発電への反対運動,アレルギーは各地で拡大しています。この反対にしても,多くは,風力発電の抱えた根本的な問題というより,むしろ設置場所や設置方法に対する問題だと言えそうです。バードストライクにしても,風車の羽(ブレード)を黒く塗ることで劇的に改善されたという報告もあります。ただし,黒くすることで景観に圧迫感を与えるというアンチの印象もあるようです。また,風車が回転すると地面が振動したり,低周波が発生して,風車の周辺から野生動物が減るという自然環境に対しての悪影響を不安視する声もあります。地下水脈を変えてしまって下流に水が流れてこなくなったとの訴えもあります。これらのように,人里近くはもちろん,たとえ人里から遠くとも,山上などの自然豊かな場所や景観に優れた場所への適切な設置は容易ではないということは確かなようです。
そこで,人里離れた場所として期待されたのは,海の上,つまり洋上風力発電ということになります。海の上は風も強いし,何より人里から離れている。風力発電の抱えた問題の多くを解決できる方法として,日本政府(菅政権)も期待をかけます。ヨーロッパでは,すでに膨大な数の洋上風力発電が稼働しています。日本のように台風が多発する場所では,安全に運用できのではないか? ということが心配されています。また,場所によっては必ずやってくるであろう,巨大地震つまり津波に耐えることは困難とみられることも不安視されています。その解決として考案されているが,浮島型の洋上風力発電所です。これならば,波にも耐えられるし,水深の深い沖合にも設置できる可能性があります。しかし,まだ技術的に不明確な部分もあるようで,実用化には時間がかかりそうです。野心的な構想としては,洋上風力発電所にグリーン水素の製造プラントを併設し,電線で電気を運ぶのではなく,水素として消費地に運ぶとことも検討されています。
ヨーロッパに比べ日本やアメリカでは洋上風力発電の普及は苦戦しているのですが,その理由は,上記の気象災害や津波のことだけでなく,沿岸の自然や景観保護制度が厳しいこととも関係しています。保護制度が厳しいことは環境の時代には歓迎される事態です。このため,制度は厳しいままで,それでいて効果的に洋上風力発電を行う技術開発や,施策の展開が待たれます。
国産風車の製造
【日本での期待】○,経済面では△か○
現在,各地に建設されている風力発電所の風車の大半は,スペインなどから輸入したシステムが採用されています。高さ100mにもなるような大型の風車が分解された状態で現地に運び込まれ,そこで組み立てられています。大型なものほど高い位置にまで風車を上げることができ,より多くの電力を発電できることが期待されています。その一方では,故障すると,復旧するまでに下手すると2年もの時間が必要になる場面もあるようです。輸入設備の宿命とでも言えそうな話です。
この対抗として,国産の風車にしたらどうだろうか,という意見があります。実は,国産風車は製造されているのです。ただし,大型のものは数例を除いて実用されていないため,小型風車がほとんどとなっています。大型風車が主流の状況の中,小型の国産風車は敬遠されがちで,大きな普及には至っていません。しかし,国産ならではの良さもあります。それは,故障しても復旧までの期間が極めて短いという点です。さすが日本のきめ細かい技術サービスです。さらに,大型風車1基の設置にかかる費用と同程度で,合算して同規模の出力となる複数の小型風車が設置できるとのことで,故障のリスクを分散できることになり,ビジネスとしては小型風車の方が有利だという考え方もあります。小型であることで,自然へのダメージも小さく,景観への影響も小さいという利点もあります。その上,建設の際,例えば山上にシステムを運搬するための道路建設なども小規模で済み,そこでも自然へのインパクトが小さくなります。「大きいことは良いことだ」の話は,風力発電では必ずしもそうではないのかも知れません。何より,国産の高い技術を活用することで,国内産業の保護にもつながります。ちなみに,山上風力発電の故障理由として多いのは落雷です。山上では,雷は上からだけでなく,時には下からやってきたりします。この辺りへの対応も国産風車は長けているとの評判があります。さすが技術のニッポンです。
小水力発電
【日本での期待】○,経済面では△か○
日本は世界でもまれな水の豊かな国です。この水のエネルギーを活用した発電は,明治時代から行われていました。当初は,小さな堰堤や,谷川の落差を活用した集落発電が主流でした。時間が経つと,徐々に小さなダムが造られるようになりました。発電所は,もっぱら鉄道会社の出資で建設され,電車の電源に活用されていました。昔は,発電と送電が別の会社で行われていて,このため,送配電系統(グリッド)の規模も小規模のため,電力の需給の整合性が取れず,多量の余剰電力を出してしまうことも,電力不足による停電も頻発したということです。
その解決のため,戦後になると,発電会社が統合され,次いで,発電会社と送電会社が統合され,現在の大きな電力会社が国策として創立されることになりました。水力発電所も大規模化し,小さな水力発電所は社会的な役割を終えることになります。それに拍車をかけたのが,紀伊半島では昭和28年の大水害でした。未曾有の豪雨の中,大半の小規模水力発電所が流失してしまいました。電力会社はすでに大規模発電所の建設を進めていましたので,被災,流失した小さな発電所が復旧されることはほとんどありませんでした。
ところが,近年になって,かつての小規模な発電所を再生しようとする機運が高まってきました。和歌山県では,新宮市の高田川では1999年から高田小水力発電所が市営で再生稼働しており,田辺市の会津川でも住民ベースで再生事業が進んでいます。その他,構想まで入れると和歌山県内で数箇所が再生されるかも知れません。
並行して,落差がある水なのにエネルギー未利用となっている場所に小規模な発電所を設置する事例も増えてきました。みなべ町では農業ダムの落差を利用した島ノ瀬ダム発電所が南紀用水土地改良区によって建設され,2009年より稼働しています。有田川町では,全国に先駆け,ダムの放流水を活用した町営の小水力発電所が2016年から稼働し,全国的に注目を集めました。かつらぎ町の花園地区では,2021年から民間の金剛の滝水力発電所が稼働を始めました。
その他でも,田んぼの農業用水の流れを利用した発電も,砂防堰堤からの落水を利用した発電もじわじわ構想,設置されるようになってきました。特に農業用水からは,1箇所から取り出せるエネルギーは小さいものの,多点設置することが可能となり,合算すると全国規模でみても大きな電力エネルギー源になると試算されています。岐阜県の試算では,岐阜県内の農業用水などエネルギー未利用水源を合算すると県内の消費電力の全量をまかなえる賦存量が現存するという結果となりました。和歌山県ではそこまではいきませんが,それでも,数十%に達する可能性もあります。和歌山県内では,和歌山大学が発電水利権の問題をクリアして那智勝浦町の農業用水で2011年から小水力発電の実験を開始したのが最初でした。紀の川市では,安楽川井発電所が2015年から稼働しています。安楽川井土地改良区による設置です。
以上のような社会情勢の変化を受け,様々な制限も緩和されていきます。河川はもちろん,農業用水で発電する際でも,水の使用権に関する許可を得るのは今でも簡単ではありません。農業での水利権と発電水利権は別であり,自分が農業で使っている用水でも,無許可で発電することは許されていません。実は,小水力発電を行う際,最も困難なのは発電水利権の取得です。過去には,無許可であったために(せっかく設置したものの)撤去を命じられた小水力発電所もありました。現在では,発電水利権の取得も以前より簡素化されるなど制限が様々に緩和されていますが,それでも発電水利権を得るのは,今でも骨が折れる作業です。
バイオマス発電
【日本での期待】○,経済面では△か○
バイオマスは,特定の時点において,ある空間に存在する生物(バイオ)の量を,物質(マス)の量として表現した言葉です。つまり,生物の量を指す言葉です。だから,人間の体もバイオマスにカウントされます。これは生態学での話になりますが,生物を利用するという視点では,現生生物体構成物質起源の産業資源がバイオマス利用となります。この「現生」は「化石」の対義の意味であり,生物由来でありながら石油や石炭がバイオマスに扱われないのは,「現生」でないからです。バイオマスの利用というとエネルギー利用が注目されていますが,最も重要なものは食料利用であると言えばバイオマスの意味をご理解いただけるかと思います。
脱炭素への取り組みとしてバイオマスのエネルギー利用が注目されていることをご存知の方は少なくないでしょう。「現生」生物つまり「現生」の生態系を利用するわけですから,燃焼させてCO2を発生させても,大気中の特に,火力発電の熱源に材木や草などを用いる発電所が,各地で建設されるようになってきました。生物の体をそのまま,あるいはそれに近い形でエネルギー利用する際によく用いられる熱源には,材木,パーム油を絞った後のヤシガラなどが代表的です。材木の場合だと,建築材などに利用できない端材や未利用材,住宅などでの廃材などがあります。森の木を片っ端から切って燃やしているわけではないのでご安心下さい。このような木質系バイオマス発電を不振が続く林業の活性化につなげようと,特に間伐材での発電に対しては手厚い補助制度が敷かれています。和歌山県内で始まった試みとして,2020年にすさみ町に新設されたホテルのボイラー熱源を地域内の未利用材を中心に利用することが注目されています。結果として林業振興が誘発されるかを注視しておきたい案件です。
一方,ヤシガラですが,発生地が熱帯にあり,日本などで熱源利用するためには遠くまで運んでこなければいけないことを問題視する意見もあります。これに対し,ヤシガラは未利用資源であり,資源の有効利用であるとの反論もあります。なお,ヤシガラを発生させるパーム油の生産ですが,熱帯林の破壊を誘発してきたとして,パーム油生産そのものの環境負荷を問題視する意見もあります。これに対し,パーム油業界では環境負荷が最小となる試みを始めています。そこで考えておきたいことは,食用油の原料を生産することにおいて,パーム油生産が最も狭い面積で同じ量の油を収穫できるという経済面と環境面での利点があります。最も大きな問題は,世界規模で食用油の消費がとんでもない速度で増えていることで,これにともなってパーム油生産農地も拡大していることです。パーム油の環境負荷は確かに問題ですが,それを深刻化させているのは,スナック菓子やカップ麺などへの依存を高めている,私達の食生活にあることも知っておきたいです。
興味深い試みもあります。耕作放棄地に多年生の大きくなる草を植え付け,粗放管理しながら収穫し,茎や葉をエネルギー利用する方法です。農地で燃料を栽培するということは長い歴史の中で行われていませんでしたが,不振を極める,特に山間部での農業活性化につなげようとするものです。大きな成果を得るまでには至っていませんが,非常に合理的な取り組みとして期待されています。これら,農地を脱炭素に活用することは,カーボンファーミングと言われることもあります。
生物の体を変質させてエネルギー利用する方法以外もあります。例えばバイオエタノールを利用する方法,家畜の糞尿など畜産廃棄物や下水処理場でメタン発酵させて得たメタンガスを利用する方法などです。バイオエタノールは,わかりやすく言うと,お酒のことです。お酒を原料にエタノールを製造します。バイオエタノールは,原料作物となるトウモロコシなどの生産が熱帯林を伐採して行われている事例が少なくないことで,かえって排出されるCO2を増やしてしまう危険性を指摘する批判があります。一方,メタンガスについては,廃棄物利用であることや燃焼させてもCO2が発生しないという利点がある一方で,その取り扱いを心配する声もあります。それは,メタンガスそのものは,CO2の20倍もの温室効果のある物質だからです。2021年になると,メタンガスが主成分のウシのゲップを脱炭素の規制対象にする国際議論が始まったりしています。
カーボン・フリーや地域活性化で期待されているバイオマスのエネルギー利用ですが,手放しでウエルカムといえない状況も出てきました。理由はいくつかあるのですが,燃料源を獲得するために,かえって自然を破壊してしまう恐れがあることが大きな理由となっています。また,気候変動を防止することにおいて,カーボン・フリーだけでは不十分で,大気中のCO2濃度を少なくとも産業革命前までは戻さないといけない状況の中,「現生」生物を燃焼させることで理論的にはカーボン・ニュートラルにはなるものの,C02が排出される事実には違いがないからです。このため,ヨーロッパでは,バイオマスのエネルギー利用で化石燃料と代替されるCO2は脱炭素にはカウントしないという議論が大詰めを迎えるに至っています。
ご当地エネルギー
【日本での期待】○,経済面では地域経済には◎
2018年の北海道胆振東部地震で注目された,広域での停電ブラックアウトが話題を集めました。発電と消費は常に同じである必要があり,普段は多めに発電しておいて,余剰分は捨てているのですが,大きな発電所が止まると,連鎖的に送配電系統(グリッド)内のすべての発電所が強制停止させられてしまうことがブラックアウトです。このブラックアウトは,効率化を求めての大規模集中化の中に潜んでいた落とし穴でした。そこで,分散エネルギーとして小さな発電所を多地点設置し,小さなグリッドをたくさん作り出し,互いに連結することで域内全体のグリッドをカバーし,ブラックアウトの発生リスクを下げようという構想が生まれるようになりました。グリッド内,あるいはグリッド間で電力需給のバランスを補完しあう方法のうち,AIを用いた効率化を実現する方法はスマートグリッドと呼ばれます。スマートは「賢い」という意味です。
一方では,小さな電力を集めても効率が悪いし,コストも高いという指摘があります。そこで出てきた考え方が,ご当地エネルギーという考え方です。地域内で使う電力は地域内で自給し,余剰分は電力会社に売電する。もしも不足したら,その分だけを電力会社から買い取るという方法です。名古屋大学の試算では,愛知県の山村におけるエネルギー自給率は,賦存量ベースだと400%,経済ベースでの可能性は200%を超えると計算されました。山村における新産業としてエネルギー,特に発電の有効性を期待させる結果です。
電力は必ず消費しますから,その分を地域内で自給できれば,電気代は地域内に滞留し,少々コストが高くとも地域内での経済的なアドバンテージは確保でき,災害時にいち早く電力復旧できる可能性も高まります。雇用も発生します。発電技術の方も目覚ましく発展し,コストはどんどん下がるようになってきたことで,ずいぶんと安く設置できるようになりました。しかも,例えば発電のために農業用水を利用することで,農業不振で管理が困難になった水路の管理が再び活発化できることなども期待され,まさしくご当地エネルギーにふさわしい活動になる可能性が高いと言えそうです。
ご当地エネルギーにおけるグリッドの最小単位は家庭発電レベルですが,集落発電レベルがわかりやすい事例として紹介されることが多いようです。これは,かつての配電が不安定だった時代を過ぎ,全国的に送配電系統が張り巡らされたからこそできることで,昔への回帰ではなく,今の時代だからこそできるようになった一種のイノベーションです。